第3回:IPO準備企業の組織能力とは?ダイナミックケイパビリティ(動的能力)で整理する上場企業への進化
特定社会保険労務士
安藤 幾郎
生成AIの活用が進む中、人事労務管理においても法令整理や対応方針の検討が容易になっています。一方で、「答えはあるのに最終判断ができない」という新たな課題も顕在化しています。本記事では、生成AI時代における人事労務の意思決定プロセスを整理し、企業固有の文脈や納得性を踏まえた判断の重要性と、専門家の関与が果たす役割について解説します。
目次
生成AIの活用が進む中で、人事労務管理の現場は確実に変わり始めています。これまで専門家に依存していた情報収集や一次的な判断は、いまや現場の担当者自身が生成AIを使うことで、一定水準まで対応できるようになりました。
実際に、ハラスメント対応や懲戒の可否、休職・復職判断といった場面においても、生成AIは関連法令や一般的な対応方針を整理し、具体的な選択肢を提示してくれます。さらに、事案の詳細や自社の状況を丁寧に入力することで、実務に近いレベルの回答を得ることも可能になってきています。
このような観点で、生成AIは人事労務管理における強力なパートナーであり、その活用を前提とした業務設計は今後ますます重要になっていくでしょう。
しかしその一方で、現場では新たな悩みが生まれています。それが、「答えがあるのに決められない」という状態です。
生成AIによって、選択肢や対応方針はかなり具体的に示されるようになりました。それにもかかわらず、「このまま進めてよいのか」「本当に自社としてこの判断でよいのか」といった迷いが残り、最終的な意思決定に踏み切れない場面が増えています。
これは決して生成AIの精度の問題ではありません。むしろ、生成AIによって答えが出るようになったからこそ顕在化した、新しい課題だといえます。
この状況を理解するためには、意思決定のプロセスを二つの段階に分けて考えることが有効です。
第一段階では、情報収集や論点整理、選択肢の抽出が行われます。この領域において、生成AIは非常に優れた能力を発揮します。適切な前提条件を与えれば、実務に耐えうるレベルの選択肢や方向性を提示することが可能です。
一方で、第二段階では求められる力が変わります。ここでは、提示された答えをそのまま使うのではなく、「自社の意思決定として採用できるかどうか」を見極め、判断として成立させる必要があります。
具体的には、前提条件の妥当性の確認、論点の抜け漏れの補完、選択肢の再整理、リスクの評価、そして「なぜその判断を採るのか」という理由の明確化が求められます。
ここで重要なのは、生成AIの回答がどれほど具体的であっても、企業固有の文脈を完全に織り込むことは難しいという点です。
例えば、以下のような要素は、企業ごとに大きく異なります。
以下では、具体例を通じて、こうした二段階の意思決定プロセスについて考えてみます。
ある企業で、うつ病により休職していた社員から復職の申し出がありました。生成AIに状況を入力したところ、「主治医の復職可能診断書があり、段階的復職のプランが整っていれば復職を認めることが適切」という方向性が示されました。
法的観点からは妥当な回答です。しかし実際には、同じ部署には当該社員と以前トラブルになった同僚が在籍しており、過去に同様のケースで早期復職を認めた結果、再休職に至った経緯もありました。
これらの「組織の文脈」を踏まえると、復職先の部署の変更や、段階的復職の期間を通常より長めに設定するといった対応が現実的な選択肢となります。
生成AIの回答はあくまで出発点であり、そこに自社固有の事情を重ねて判断することが不可欠です。
生成AIは、入力された情報をもとに一定の前提を置いて回答を導き出しますが、こうした「暗黙の前提」や「組織の文脈」まで完全に反映することは容易ではありません。そのため、提示された答えをそのまま採用するのではなく、自社の状況に照らして再検証し、意思決定として成立させるプロセスが不可欠となります。
さらに見落としてはならないのが、「感情」と「納得性」の問題です。
人事労務管理における意思決定は、単に法的に正しいだけでは十分ではありません。たとえ法的に問題がなくても、当事者や周囲の社員が納得しなければ、不信感や反発を生み、結果として組織の安定性を損なう可能性があります。
一方で、一定のリスクを伴う判断であっても、その背景や意図が適切に説明され、プロセスに納得感があれば、組織として受け入れられるケースも少なくありません。
管理職による部下へのパワーハラスメントが確認され、懲戒処分を検討することになりました。
生成AIは「行為の内容・頻度・影響から、出勤停止相当の懲戒処分が考えられる」という選択肢を提示しました。法的根拠も整理されており、客観的には適切な判断です。
ところが、当該管理職はチームの中核を担っており、処分の内容や伝え方次第では周囲の士気や顧客対応に影響が出るという懸念が経営陣にありました。
結果として、処分内容は維持しつつも、本人への通知の場に人事担当役員が同席し、今後のキャリアについても丁寧に対話する場を設けることで、本人・チームともに納得感のある着地が実現しました。「何を決めるか」と同じくらい、「どのように伝えるか」が結果を左右するケースです。
この「納得性」は、論理だけではなく、文脈、関係性、伝え方、タイミングといった要素によって形成されます。そのため、生成AIのアウトプットだけで十分に設計することは難しく、人の関与が不可欠な領域といえます。
ここで重要になるのが、人事労務の専門家の関与です。
私自身、社会保険労務士として企業の人事労務に関わる中で、現場の担当者が、生成AIによって導き出された答えを前提にしながらも、「この判断で本当によいのか」「どのように伝えれば納得してもらえるのか」といった点で悩む場面に数多く立ち会ってきました。
このような場合、私を含む人事労務の専門家は、生成AIによって提示された回答の前提条件を確認し、論点を整理し直したうえで、実際に考えられる選択肢を企業の状況に応じて再構成していきます。そこから、それぞれの判断がもたらす影響を見極めながら、「なぜこの判断を採るのか」を言語化し、さらに「どのように伝えれば受け入れられるか」という点まで含めて整理していきます。
いわば、専門家の関与によって、「答えがあるのに決められない」状態から、「納得して決められる」状態へと引き上げていくプロセスです。
重要なのは、生成AIと専門家を対立的に捉えないことです。
生成AIは、情報収集や論点整理、選択肢の抽出といった初期段階において大きな力を発揮します。一方で、最終的な意思決定においては、企業固有の文脈や感情、納得性を踏まえた判断が不可欠であり、こうした判断には人事労務の専門的な視点が求められます。
したがって、「生成AIで広く可能性を洗い出し、その上で専門家とともに、企業の状況に即した最終判断を行う」というプロセスが、これからの理想的なあり方になると考えられます。
このアプローチを取り入れることで、企業は意思決定のスピードと質の両立を実現できます。判断の根拠が明確になり、説明責任を果たしやすくなるだけでなく、専門家の関与により、組織としての一貫性も高まります。
そして何よりも、「納得して動ける組織」を実現することが可能になります。
生成AIの普及により、企業活動において「答えを出すこと」の価値は急速に低下しています。これから価値が高まるのは、「その答えをどのように意思決定に昇華させるか」という企業の判断プロセスそのものです。
人事労務管理は、企業における意思決定の現場として、まさにその中心に位置しています。
だからこそ、生成AIを積極的に活用しながらも、そのアウトプットを前提として、企業が最終的な意思決定の質をどのように高めていくのか。この視点が、これからの企業にとって重要になると考えられます。
「正しい答え」から「受け入れられる意思決定」へ。この転換こそが、生成AIで“答えがあるのに決められない”時代において、人事労務管理が企業にもたらす新たな価値の源泉となります。
意思決定の最終局面における悩みは、多くの企業で日常的に生じています。私自身、社会保険労務士としてさまざまな判断の場面に関わる中で、第三者かつ専門的な視点から関与することで、論点や判断基準が整理され、納得感のある意思決定につながるケースを数多く見てきました。
こうした支援が、意思決定の質を高め、結果として組織全体の納得感を高める一助となります。生成AIの活用を前提としながら、最終的な意思決定に迷いを感じる場面がある場合には、専門的な視点から検討を支援する、社会保険労務士事務所ZeLo・法律事務所ZeLoにご相談いただくこともご検討ください。