生成AIで“答えがあるのに決められない”時代の人事労務管理――“答え”を“意思決定”に変える専門家の役割
特定社会保険労務士
安藤 幾郎
外資系企業の担当者からよく聞かれる発言があります。「適切にPIPを実施したのだから、解雇は有効なはずだ」しかし、日本の裁判所はしばしばこの前提に異を唱えます。PIPを実施したという事実だけでは不十分で、その実質——目標の現実性、提供された支援、そして解雇回避努力——を厳しく審査するのです。PIP(Performance Improvement Plan:業績改善計画)は、人事労務実務において活用される機会が増えていますが、日本では米国と法的前提が大きく異なります。本記事では、グローバル企業・外資系企業の方を主な対象に、日本におけるPIPの法的位置づけと解雇の有効性判断において重視されるポイント、さらに、米国の運用をそのまま導入することのリスクについて解説します。
目次
米国では「At-Will雇用原則」が基本です。使用者・労働者ともに理由を問わず雇用関係を終了できるため、PIPは実質的に解雇の「予告」的な意味合いが強いです。そのため、形式的な実施で十分なケースが多く、PIPから解雇への流れは一般的です。
一方、日本では解雇の有効性判断にあたっては、労働契約法第16条(解雇権濫用法理)が適用されます。
「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」
PIP実施後の解雇の有効性判断において、日本の裁判所が審査する主なポイントは以下のとおりです。
重要な違いとして、米国ではPIPは「解雇のための手続」として機能することが多いのに対し、日本では真の改善・育成の機会でなければ、解雇を正当化できません。
日本の裁判所によって繰り返し指摘される失敗パターンの例は以下のとおりです。
一点目として、解雇をすでに決めた上でPIPを開始している場合や、進捗に応じて延長や調整をする意思が見られない場合があります。
裁判所は「真の改善・育成の機会を提供したか」という観点から厳しく目的の正当性を評価します。
二点目として、過去の実績や市場環境から見て明らかに達成不可能な目標を設定している場合、抽象的な基準(「積極性を示すこと」「チームワークの改善」等)を設定している場合、あるいは、短期間で劇的な行動変容を要求している場合には、裁判所が会社側に不利な判断を下す可能性があります。
三点目として、面談が形式的または少なすぎる場合、具体的なコーチング、研修、リソースの提供がない場合、口頭での実施であり記録がない場合が考えられます。会社としては、真の改善・育成の機会を提供したことを記録化しながら、PIPを実施していくことが重要になります。
対象者の選定は、客観的で透明性のある基準に基づいて行う必要があります。具体的には、業績評価が連続して一定水準を下回っている場合や、業務上の問題が一定期間継続しており、改善を促す指導を実施したにもかかわらず改善が見られない場合などが対象となり得ます。
他方で、恣意的または差別的な選定、特定の社員を狙い撃ちするような選定、あるいは退職勧奨を拒否したことへの報復としての実施は許されません。
PIPを開始する前には、対象者選定の合理性を示す客観的な証拠として、評価記録や指導記録などを十分に準備したうえで、人事部門や法務部門と連携し、選定プロセスの適法性を確認することが望まれます。
PIPの期間については、1~6か月間で設定されることが一般的ですが、役割の具体的内容、研修の実施状況、提供可能な支援等を考慮して個別の事案ごとに検討するべきです。また、一度だけでなく、複数回設定することも検討するべきです。
職務に紐づく具体的な行動やアウトプットとして目標を具体化し、明確な指標または観察可能な基準により測定できる形とすることが重要です。
また、適切な目標設定として、過去の履歴や同僚の業務内容などに照らして現実的に達成可能な水準を設定し、週次・月次のチェックポイント等のマイルストーンを置いて期限を明確にすることも求められます。
実施・運用の流れとしては、まず開始時に課題を説明し、目標を設定したうえで、対象労働者の意見を聴取し、内容について確認・署名を得ることが基本となります。
その後は週次または隔週で1on1を実施し、コーチングを行いながら問題点を抽出し、次に取るべき具体的なアクションを検討します。加えて、月次で証拠に基づくレビューを行い、必要に応じて中間のチェックポイントで目標の調整を行います。
また、期間終了時には、改善が認められ通常業務へ復帰できるのか、期間を延長するのか、役割変更や配置転換などの代替策を講じるのかを判断し、解雇はあくまで最終手段として慎重に検討するべきです。
ドキュメンテーションはPIP運用の中核であり、実務上は「記録されていないことは実施していないものとして扱われ得る」という点に留意が必要です。
具体的には、なぜPIPを実施するのかを経緯も含めて整理し、客観的根拠を明確化したPIP開始検討資料を作成すること、目標を含む業務改善計画書や目標シートを整備し、対象労働者の承認や意見を記録すること、研修・メンタリング・業務量調整等の支援計画を明確にすること、面談の都度、日時・内容・助言・対象労働者の反応を含む面談記録を残すこと、月次の進捗サマリーを作成すること、そして最終評価報告書を取りまとめることが重要となります。
さらに裏付け資料として、提供した研修やメンター、ツール等のリソース提供の証拠、業務機会の付与や割当の記録、配置転換等の代替案を検討した記録などを整理・保管しておくことが望まれます。
米国の前提を日本にそのまま持ち込むことは、リスクの源泉になります。日本の裁判所は、PIPという名前の有無ではなく、労働者に本当に改善の実質的機会が与えられたかを審査します。
グローバル企業・外資系企業の人事担当者や経営陣の皆様には、この日米の根本的な違いを理解した上で、日本法に適合したPIP制度を設計・運用することを強くお勧めします。
法律事務所ZeLoでは、PIPの設計・運用支援をはじめ、問題社員対応、ハラスメント対応、配置転換、退職勧奨、労働紛争対応まで、人事労務上の課題に対して一貫した支援を提供しています。PIPの導入や運用方法にお悩みの場合や、将来的な紛争リスクを見据えて適切な対応を検討したい場合は、お気軽にご相談ください。