Latest Developments and Practical Considerations in Indonesian Labour Law— Understanding the Latest Legal Framework and Compliance through the Lens of Religion, Culture, and Practice —
インドネシア法弁護士
フィエスタ ヴィクトリア
弁護士
室井 剣太
インドネシアはアセアン(ASEAN/東南アジア諸国連合)最大の人口と高い経済成長率を誇り、日本企業の進出が加速しています。首都移転や労働人口の増加を背景に、今後も有望な投資先として注目されています。一方で、インドネシア労働法は頻繁に改正され、労務管理には文化的、宗教的背景も影響するため、労務コンプライアンス対応には注意が必要です。本稿では、雇用契約・社会保障・最低賃金・就業規則・解雇制度・外国人雇用規制など、現地実務で重要な論点を整理しました。なお、本稿の執筆に際しては、インドネシアの法律事務所であるIABFのMeidyna Budiarti弁護士、Nurul Hasanah弁護士の協力を得ています。
2006年ペリタ・ハラパン大学卒業。2019年法律事務所ZeLo参画。 主な取扱分野はM&A、ジェネラルコーポレート、人事労務、フィンテックなど。 インドネシア統一弁護士会PERADIのプロフェッショナル会員であり、執筆も数多く手掛けている。ALB Women in Law Awards 2021 - Business Development Lawyer of the Year を受賞。
目次
インドネシアは、アセアン諸国の中でも最も人口が多く、経済成長率も高い国の一つです。製造業、インフラをはじめとして様々な分野において日本企業の進出が増えており、今後も首都移転や労働人口の増加なども踏まえ重要な投資先であり続けるでしょう。
その一方で、同国の労働法制は頻繁に改正されるうえ、実務上の運用も流動的です。労働者保護を目的とする規制が多く、監督官庁の運用も地域によって異なるため、単に法文を読むだけでは十分な理解には至ることができません。
本稿では、雇用契約や社会保障、最低賃金、就業規則、解雇制度に加え、宗教・文化的配慮、外国人雇用規制、労働組合との関係など、現地の実務で実際に問題となる論点を整理します。
なお、本稿は、労働法をはじめとした企業法務に定評のあるインドネシアの法律事務所であるIABF(https://iab-net.com/ )のMeidyna Budiarti弁護士およびNurul Hasanah弁護士の多大なる協力を得て作成されています。改めてこの場を借りてお二人のご厚意に感謝申し上げます。
インドネシアの労働法制は、2003年制定の「労働法(Law No.13/2003)」と、その改正法となる「2023年雇用創出法(Job Creation Law, Law No. 6/2023」(以下「オムニバス法」といい、本稿では労働法(Law No.13/2003)と併せて「労働法」といいます。)を中心に構築されています。労働法は雇用契約、労働条件、賃金、解雇、社会保障などの基本的な労働関係を規定しており、その施行規則としての労働大臣規則や労働大臣決定とあわせて運用されています。
かかる枠組みに対して、2024年10月31日、憲法裁判所は、労働党、主要な労働組合(FSPMI、KSPSI、KPBI、KSPIなど)、および2名の労働者個人による違憲審査請求を部分的に認容し、オムニバス法の一部条項に関して違憲判決を下しました(憲法裁判所決定168/PUU-XXI/2023。以下「本判断」といいます。)。この憲法裁判所の判断により、オムニバス法の20の条項が「条件付き違憲」とされ、「~できる(may)」という文言が違憲と判断されました。また、憲法裁判所は国会に対し、新たな労働法を制定し、現行の雇用創出法の枠組みから労働関連の規定を切り離すよう命じました。
これにより、労働法制にも大きな影響が生じており、オムニバス法で規定された内容も重要な点で変更が求められました。本稿では、本判断に基づいた内容を説明しています。
労働法以外で、労働関係を規律する根拠には、雇用主および労働組合の間で締結される労働協約、雇用主において作成される就業規則、そして雇用主および労働者の間で締結される個別の雇用契約があります。
「労働協約」は、全ての労働者に適用される労働条件の基本合意となるものです。雇用主と個々の労働者との間で締結される雇用契約でも労働条件は規定されていますが、その条件は、労働協約の条件を下回ってはならないとされます。
「就業規則」は、10名以上の労働者がいる会社で作成義務が生じるもので、人事省(Kementerian Ketenagakerjaan Republik Indonesia)への届出が必要となります。ただ、労働協約を締結している雇用主においては作成義務が免除されます。
就業規則には、雇用主・労働者の権利義務、労働条件、会社の服務規律、就業規則の有効期間の概要が記載されます。内容が他の規律との間で重複する場合には、インドネシア労働法の根本原則である有利原則により、労働者により有利な条項が適用されます。
「雇用契約」については、以下の「雇用契約の基本枠組み」をご覧ください。
雇用契約は、雇用主と、個々の労働者との間で締結される個別の雇用条件等を規定した契約書です。口頭でも成立しますが、実務上紛争を避けるために書面で各種必要事項を記載することが一般的です。後述のとおり、有期雇用契約の場合には、必ず書面で作成しなければなりません。
雇用契約書には、最低でも、雇用主の住所氏名、事業の種類、従業員の氏名・性別・年齢・住所、職種・業務の場所、賃金額と支払方法、雇用主と従業員の権利義務、契約の効力発生日と存続期間、契約締結の場所と日付、そして関係当事者の署名といった内容を記載することが求められます。雇用契約は2通作成され、一方は雇用主が保管し、もう一方は従業員が保管します。どちらも法的拘束力に差は生じません。
インドネシアでは、雇用契約は無期契約(Perjanjian Kerja Waktu Tidak Tentu(PKWTT))と有期契約(Perjanjian Kerja Waktu Tertentu(PKWT))との2種類に分類されます。これらの雇用契約は、業務の性質や契約期間に基づいて分類されます。雇用契約の性質の違いにより、各従業員の法的地位や権利内容も異なってきます。
「無期契約(PKWTT)」は、いわゆる正社員契約にあたり、試用期間は最長3か月までと定められています。試用期間中であっても、最低賃金を下回る賃金設定は違法です。
一方、「有期契約(PKWT)」は、特定の業務や期間に限定された契約であり、常用的な業務の場合には、有期契約で雇用契約を結ぶことは禁止されます。
有期契約のうち、特定の業務に限定された契約の場合には、以下の二つの要素を契約内容として合意する必要があります。
- 業務完了したとみなされるための業務範囲
- 業務の完了予定に基づいて調整された業務期間
有期契約書は、これらの要素を含む合意を書面での締結の上、労働局への登録が義務付けられている点に注意する必要があります。
なお、有期契約の最長期間は、本判断により、特定の業務に限定される場合でも期間が限定される場合でも、延長を含めて合計5年となります。従来、例えば、政府規則第35号2021年において、業務が完了するまで有期契約の延長を認めていた規定は、この5年の上限に適合させるために改正が必要となりました。本判断は、インドネシアにおける有期雇用について、憲法上の明確な上限期間を設定するもので、雇用主と労働者双方にとって重要な意味を持ちます。
また、近年は雇用契約上の競業避止条項の有効性を巡る紛争も増えています。競業禁止条項を設けることも法律上は禁止されていませんが、地域・期間・対象業務の範囲が合理的であることが求められます。違反時の違約金を契約書に明記しておくことで、紛争時に実効性を確保しやすくなります。
インドネシアの賃金体系は、一般的に以下の構成で成り立っています。
- 基本給+固定手当(職能・通勤・食事など):
固定手当は基本給と固定手当の合計額の25%以内である必要があります。- 変動手当(シフト手当など)
- 臨時手当(宗教祝祭日手当(Tanjungan Hari Raya(THR))、ボーナスなど)
とりわけ宗教祝祭日手当(THR)は法律で支給義務があり、インドネシア企業で働くインドネシア人や、一定の要件を満たす外国人の従業員が対象となりえます。勤続12か月以上の場合は1か月分の給与を、12か月未満の場合は勤務月数に比例した金額を支払います。
労働時間は、週6日勤務の場合は1日7時間で週40時間以内、週5日勤務の場合は1日8時間で週40時間以内が原則です。
時間外労働には、労働者の個別同意が必須ですが、包括的な事前同意で認められるかは実務上明らかではありません。残業は1日4時間以内で週18時間以内と制限され、雇用主は書面やデジタル記録による指示と、労働者の同意の記録保存を求められます。
残業手当の割増率は日本より高く、平日の残業時間の最初の1時間から基本賃金の150%の割増率が適用されます。また、1日4時間を超える残業を命じる場合、雇用主には「栄養価の高い食事(1,400キロカロリー以上)を提供する義務」があります。これは単なる金銭補償では代替できません。1,400キロカロリーとは、Nasi gorengで約2皿分、Nasi uduk(鶏、テンペ、卵、サンバルなど付き)で約2皿弱分となるものと思われます。インドネシアの物価は日本に比べても安いとはいえ、残業時の食事の提供義務が雇用主の負担となることは間違いありません。
インドネシアでは国民の約87%がイスラム教徒であり、宗教的慣習が労務運用に深く根付いています。
雇用主は労働者の宗教信仰に対して一定の配慮義務を負っています。
たとえば、1日5回の礼拝時間(Subuh, Dzuhur, Ashar, Maghrib, Isya)を確保するため、勤務時間中の一時的な離席を認める必要があります。
金曜日には、「ジュマ(金曜礼拝)」のため正午前後に男性従業員がモスクへ行くことも一般的です。
ラマダン(断食月)期間中には、始業・終業時間を前倒しする企業も多く、断食明け(イフタール)に合わせた配慮が慣習的に行われます。
宗教上の理由による休暇には給与支給義務があり、宗教を理由とした解雇は厳しく禁止されています。また、労働協約や就業規則で個別に合意されている場合でも労働者の宗教信仰を侵害することはできず、違反すれば監督官庁や裁判所から罰則・是正勧告を受け、遡って、過去分の手当の支払いを求められるなど、雇用主に対する大きな法的かつ財務的な不利益が課されます。
インドネシアでは、6か月以上勤務する外国人を含む、すべての労働者について、社会保障機関(Badan Penyelenggara Jaminan Sosial(BPJS))への加入を義務付けられています。BPJSは、雇用保険と健康保険から成り立っています。雇用保険は、労働災害補償・老齢保障・年金・遺族補償・失業補償を含み、健康保険は医療保障です。
加入義務は雇用主にあり、未加入の場合は、行政罰(警告、公共サービス停止等)を受けることもあります。労働者が自ら加入した場合、雇用主に割り当てられる部分については、雇用主の負担となります。
雇用契約は、労働者の死亡、雇用契約の期間満了、有期雇用契約における特定業務の完了、裁判所の判決や労使紛争解決機関の決定等の確定判決、または雇用契約・就業規則・労働協約に定められた特定の事由が生じた場合に終了します。
インドネシア労働法によれば、雇用主の死亡やM&Aにより雇用主の支配権が移転したことのみを理由として雇用契約を終了させることはできません。
M&Aにより雇用主の支配権が移転した場合、原則として新しい雇用主は労働者の既存の権利を保障する責任を負います。但し、労働者がM&A後に雇用継続を望まない場合や、例外的に雇用主が労働者を継続雇用しないことが認められる場合には、当該労働者は補償を受けることができます。この補償の内容は正社員と契約社員とで異なり、雇用期間や雇用契約終了時の職位などによっても異なります。
個人の雇用主が死亡した場合、雇用主の相続人は労働者との協議をした後に雇用契約を終了させることができます。一方、労働者が死亡した場合、その相続人は、法令や雇用契約等で規定された労働者の権利を主張することができます。
インドネシア法上、解雇や雇用契約の終了(Pemutusan Hubungan Kerja)には一定の理由が必要とされています。
法令上、解雇は「最後の手段」と位置づけられており、雇用主、労働者、労働組合および政府は、解雇を防止するためにあらゆる努力を行わなければならないとされています。解雇が不可避となった場合、雇用主は、当該解雇の目的と理由を労働者や労働組合に通知しなければなりません。これは透明性を確保し、解雇される労働者や労働組合がその決定の根拠を十分に把握できるようにするためのものです。労働者が解雇を拒否した場合には、労使間で協議(30営業日以内)が行われます。この協議で合意に至らない場合は、調停・斡旋(mediation or conciliation)を経て、それでも折り合わなければ、最終的に労働裁判所が判断します。ここでは、裁判所が紛争を審理し、法令に従った拘束力ある判決を下します。
従来の労働法では、解雇の法的手続きに関して、「解雇は、労働関係紛争解決機関の手続きに従って行われる」とされていました。しかし、本判断では、当該文言について、「解雇は、当事者間交渉が合意に至らなかったときに、労働関係紛争解決機関の確定判決を得た後にのみ実施できる」と解釈されない限り違憲で、法的拘束力を有しないとされました。このため、解雇は、労働関係紛争解決機関の確定判決を得た後に限り行えることとなります。
雇用主は労働者に対して、退職時に、労働法に基づき一定の金銭支払義務(補償義務)を負います。
従来の労働法では、この雇用主の補償義務を含む、労働契約上の両当事者の義務について、「各段階に応じて労使関係紛争の解決手続が完了するまで、義務として継続する」とされていました。
しかし、本判断では、上記の文言を「労使関係紛争解決法(IRDS法)の規定に従い、確定判決が得られるまで、義務として継続する」と解釈しない限り、違憲無効であるとされました。すなわち、雇用主が労働者を解雇しようとしたときに、協議により解決できず、最終的な労働裁判所による判決に基づいて雇用契約終了に至った場合には、雇用主や労働者の双方の義務は、確定判決が出るまで継続されることになります。これにより、実務上、紛争期間中も雇用主は労働者に対し従前どおり給与を支払わなければならず、解雇手続が長期化すると雇用主の財務状況に大きな影響を与えることになります。
この弊害を回避するために、実務上は、雇用主は合意により早期に退職させることを模索することとなります。前述のとおり、これは両当事者にとって、より効率的で円満な解決をもたらし得る代替的な手段とされていますが、雇用主にとっては、いずれにせよ大きな負担となることは間違いありません。
その他、退職時には、自己都合退職・整理解雇・会社の倒産・定年退職など、解雇理由ごとに定められた退職給付制度があります。退職給付は、退職金・勤続慰労金・権利補償金の三つからなり、懲戒解雇の場合でも退職給付の対象となる点が特徴的です。
なお、従来の労働法では、退職金の算定式が定められていました。しかし、本判断では、労働法上の当該算定式で求められた退職金額は最低金額として解釈されなければ違憲とされました。これにより、雇用主は、従業員との合意や就業規則、労働協約を通じて、これを上回る退職金額を支払う義務を負います。
外国人の雇用には特有の制限があり、人事関連業務や人事決定権を持つ役職には外国人が就けないとされています。そのため、雇用契約書や給与明細への署名を外国人が行うと、当局によって法令違反とされるおそれがあります。
かつては「外国人1人につきインドネシア人10人を雇用」という明確な比率が存在しましたが、現在は撤廃されています。ただし、実務上は、ノウハウの移転や、能力構築の観点から、インドネシア人の対応する担当者を配置することが期待されています。
インドネシアの労働法制は、
という特徴があります。
日本企業に求められるのは、
です。
日本企業が、日本的な感覚でインドネシア子会社の労務管理を行うと思わぬ落とし穴があるかもしれません。最新の法令と現地の慣行、そしてインドネシア特有の文化的・宗教的理解に基づく人材戦略を実践することこそが、日本企業のインドネシア市場での持続的成長を支える基盤となるでしょう。
法律事務所ZeLoでは、日本企業のインドネシア進出や、外国企業の日本市場参入を支援するリーガルサービスを提供しています。本件に関しご質問やご支援が必要な場合は、ぜひお気軽にお問い合わせください。