【社会保険労務士が解説】IPO準備での適切な管理監督者の範囲設定について
特定社会保険労務士
安藤 幾郎
社会保険労務士
河野 千怜
近年の加重労働による過労死事件や未払い残業代の発生など労務に関する社会的関心の高さを受けて、上場審査においても、労務問題に関する審査が厳格化しています。IPOを目指すスタートアップ企業にとっては、上場準備の初期の段階から労務デューデリジェンス(以下「労務DD」といいます。)を受け、適切な労務体制の整備を進めることが重要です。本記事では、労務DDの必要性や重要性のほか、実際に労務DDを受けることになった場合の審査項目や流れを、社会保険労務士(以下「社労士」といいます。)・弁護士が解説します。
2010年一橋大学法学部卒業、2012年一橋大学法科大学院修了。2013年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)、同年岡本政明法律事務所入所。2014年弁護士法人レイズ・コンサルティング法律事務所入所。2022年法律事務所ZeLoに参画。主な取扱分野は人事労務、訴訟/紛争解決、ジェネラル・コーポレート、ベンチャー/スタートアップ法務、M&A、IPO、危機管理、データ保護、事業再生/倒産など。
目次
スタートアップ企業が上場するためには、主幹事証券会社が行う引受審査や株式会社東京証券取引所が行う上場審査など、多くの関門を突破する必要があります。
上場審査では、事業の継続性という観点からコンプライアンスとガバナンスの状況について審査されますが、社会的関心の高い論点が特に重要なトピックとなることがあります。
昨今、加重労働による過労死事件などを受けて、時間外労働に関する規制が強化されており、労務関係の審査は厳格化しています。
また、監査法人自体が働き方改革を推進して人手不足となり、依頼を受ける企業を選定する傾向がある中、労務DDを受けて適切にリスクを認識し、それに対応している企業を優先して監査契約を締結するようになってきています。
このような事情から、IPOを目指すスタートアップ企業においては適切なタイミングで労務DDを受けておくことが必須と言っても過言ではありません。
上場審査は、公益に資する会社か、投資家の利益を不当に損なわない体制を備えた会社かという観点から行われます。
したがって、ある時点を切り取って基準に合致しているというだけでは足りず、適切な労務管理体制が構築され、それが継続的に運用されている必要があります。
なお、スタートアップ企業がグロース市場に上場するための準備期間は、一般的に3年以上と言われています。その間に監査法人による通期の監査や、主幹事証券会社の引受審査が行われますが、労務体制整備という観点からは、N-2期中に適切な体制を構築し、N-1期には構築した体制を運用している状態が望ましいとされています。
その上、労務管理体制整備は複数のトピックを扱うことも多く改善に時間がかかるため、早めに労務DDを受けて課題やリスクを把握して対応することが重要です。
特に上場審査で重要視され、労務DDで最重要項目となるのが未払い賃金の有無です。
未払い賃金の存在は、簿外債務として決算書上の利益を圧迫し、株価に直接的な影響を与えるだけでなく、従業員の申し出により突如リスクとして発出する可能性があることから、特に慎重に確認する必要があります。
未払い賃金の発生原因は、勤怠の打刻時間と実働時間に乖離があるなど、労働時間管理が適切でない場合、管理監督者性の要件を満たしていないのにも関わらず時間外労働割増賃金を支払っていない場合、又は割増賃金の算定基礎から除外している手当が誤っているなど計算方法が間違っている場合、など多岐にわたります。
仮に労務DDで未払い賃金が発生していることが明らかになった場合、N-1期に入るまでには、未払い賃金が発生しない体制に改善され、同体制において運営できていることが求められます。さらに、会社が消滅時効を援用できない期間にわたる賃金支払義務につき(本記事の執筆時点では3年間)、すべて清算した状態にしておくことも望まれます。
なお、既に退職した者との関係でも対応することが通常です。従業員数や精算額によっては多大な時間やコストがかかることが想定されるため、早めに労務DDを受けて対応を開始することが重要です。
労務DDでは、法違反となるような体制・運用はないか、上場審査時に指摘されるようなリスクがないかという観点から、労務管理に関する事項について網羅的に審査します。
基本的な審査項目は以下のとおりです。
社労士によって行われることの多い労務DDですが、対応できる社労士は限られているのが実情です。また、社労士や事務所によって得手不得手があるため、実際に話を聞いて、IPOに向けた労務DDに関する実情に詳しい社労士かどうか見極めたうえで契約するのがよいでしょう。労務DD契約締結後の流れは概ね以下のとおりとなっています。
※法律事務所ZeLo・社会保険労務士事務所ZeLoで契約された場合の一般的な流れになります。会社の規模や業種によっては共有していただく資料や順序が異なる場合があるほか、他の事務所では順序や方法が異なることがありますので、あらかじめご了承ください。
社労士が、労務DDに必要な資料のご提出を依頼します。ご依頼者においては、当該資料の有無をご確認いただき、保有している資料についてご提出いただきます。
例えば、就業規則・賃金規程をはじめとする人事関連規程、労働者名簿・賃金台帳などの法定帳簿類、勤怠データ、パンフレット・組織図などの会社の状況がわかる書類などが挙げられます。
また、社労士が、会社の概況把握のための質問票を共有しますので、必要事項をご回答いただきます。質問票は、雇用形態ごとの従業員の人数、退職者の人数、適用している労働時間制度、過去の懲戒処分の内容やハラスメントに対する取り組みなどをお伺いする内容となっています。
ご提出いただいた規程類や質問票への回答内容を社労士が拝見し、規程類が適法かつ適切な内容となっているか、適切な運用となっているかを確認します。
その後、あらかじめ指定した日時にインタビューを実施します。インタビューでは、課題の解像度を上げるため、規程類や質問票では分からない実際の運用をお伺いします。
インタビュー対象者として日常的に従業員の人事・労務管理をされている方に出席していただくと、効率的なヒアリングが可能です。
なお、インタビュー時間は、会社の規模や実態によって異なりますが、半日から1日程度かかる場合があります。
ご提出いただいた規程類及び質問票、ならびにインタビューでお伺いした事項を総合的に勘案して、社労士が報告書を作成します。なお、法的に微妙な判断が要求される場合など、特定の項目に関しては弁護士が対応することがあります。
報告書では、どのような課題が見つかったのかに加えて、リスクの程度も明らかにさせていただきます。リスクの程度は、労働法規への違反の有無だけでなく、財務的影響度や対応の緊急度を加味して、課題を評価し決定しています。
上記③の報告書を納品させていただくフェーズまでが労務DDとなっています。
しかし、上場審査では労務DDの報告書を提出したうえで、課題の改善状況についても確認されます。したがって、労務DDを受けたから完了というわけではなく、労務DDで判明した課題を改善していくことも重要なのです。
会社の労務管理の根幹となる就業規則・賃金規程などの規程類の内容は社労士に相談しながら進めることをおすすめします。さらに、未払い賃金が発生していた場合の清算については、訴訟にも発展し得るセンシティブな内容のため、弁護士の支援を受けることが望ましいです。
なお、先に述べたように労務体制整備という観点からは、N-2期中に適切な体制を構築し、N-1期には構築した体制を運用している状態が望ましいため、労務DDで見つかった課題に優先順位をつけて、スピーディーに対応していくことが重要です。
社内で悩んでいたことが専門家に相談したらすぐに解決したというケースも多くありますので、改善フェーズにおける日常的な相談相手となる社労士・弁護士がいると安心です。
上記のとおり、上場審査における労務問題の審査は年々厳格化しており、IPOを目指す企業は、自社の労務体制が適法かつ適切であるかを、労務DDを通して入念にチェックし、課題を解決する必要があります。
法律事務所ZeLo・社会保険労務士事務所ZeLoでは、人事労務領域を専門とする弁護士や社労士をはじめ、IPO支援の実績を多数有するメンバーがチーム体制で支援を行っております。特に労務DDについては、以下の強みを有しています。
上場審査では、継続的に違反を発生させない労務管理体制の整備が求められます。
他方で、労務に関する問題においては、法令の解釈だけではなく、過去の裁判例に照らした判断が必要な場面が多くあります。
例えば、未払い賃金発生の原因の一つとなり得る管理監督者の範囲が適法に設定されているか、固定残業代が適法かつ有効に設計されているか、という問題については、複数の裁判所の判断と比較して慎重に判断することが重要です。
上場審査において重要視される項目においても、訴訟事例を踏まえた検討が必要な場面がありますので、労務DDの時点で労務問題の取扱いに長けた弁護士の関与があるほうが安心です。
法律事務所ZeLoには人事労務訴訟の対応実績を多数持つ弁護士が在籍しておりますので、過去の訴訟事例を踏まえたうえで、貴社の事業や従業員規模にあわせた適切な対応をご提案可能です。
上場審査では、項目によっては労働基準監督署の臨検では指摘されないような事柄について指摘される場合があります。
繰り返しになりますが、上場審査では未払い賃金の有無が重要項目になっているため、これに関連する事柄については特に厳しく審査されます。例えば勤怠管理方法について、従業員がソフトを用いて毎日打刻をする方法が一般的ですが、上場審査においては打刻情報とPCのログの乖離状況まで管理しているかまで求められる場合があります。
このように、未上場企業において通常採用されている労務管理よりも厳しい労務管理体制の整備が必要になります。
法律事務所ZeLo・社会保険労務士事務所ZeLoには、労務DDの対応実績を多数有する上場審査の感覚を持った弁護士・社労士が在籍しており、適切なアドバイスをすることが可能です。
スタートアップ企業が上場するために、労務DDは必要かつ重要ですが、上場準備の中では一部分に過ぎません。上場審査では、他にも多種多様な観点から、公益に資する会社か、投資家の利益を不当に損なわない体制を備えた会社かどうかを審査されます。したがって、上場準備の全体の流れを把握している専門家による支援が必要です。
法律事務所ZeLoには、東京証券取引所の上場審査部において100社以上のIPO審査に関与した弁護士や、公認会計士としてIPO準備会社監査に従事した弁護士などIPO支援の実績を多数有する弁護士がチームを組成しています。豊富な知見と経験をもとに上場審査の勘所をアドバイスするだけでなく、プロジェクト全体を迅速かつ適切に管理し、円滑なIPO準備を遂行します。
労務DDをはじめ、上場準備に向けた労務体制構築や改善にお悩みの方は、ぜひお気軽にお問い合わせください。