介在価値の大きさがやりがいに繋がる──私がZeLoに転職したワケ
Attorney admitted in Japan
Akihiro Saotome
こんにちは、法律事務所ZeLo・外国法共同事業です。 連載「ZeLo Member's Story」では、法律事務所ZeLoのメンバーがどんな想いをもってジョインしたのか、どんな未来を描いているのかをお伝えしていきます。 由井恒輝弁護士は、法律事務所ZeLoのインターンを経験し、2021年1月に新卒で入所しました。入所から1か月経った今、法律事務所ZeLoの雰囲気や、自身がこれからチャレンジしていきたいことについて、お話しします。
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これまで弁護士に強く憧れを抱くようになる出来事もなければ、弁護士の仕事に触れる機会もなかったので、振り返ってみると、自分がこの道にいることは不思議な感じがします。ただ、この道に進もうと決断したときの自分は、何者かになって自信を持ちたかったのかなと思います。
13歳のときに骨肉腫という病気になりました。簡単に言うと脚の骨のガンです。抗がん剤治療をして、ガンのできた部分の骨を切って、人工関節に換える。そのために約1年間を病院で過ごしました。抗がん剤治療、それはもうしんどくて、何も食べることができずに、治療開始2週間で体重が10㎏ぐらい落ちました。「死」を意識したのはそれが初めてだったと思います。実際、当時の骨肉腫患者の5年生存率が6~7割くらいだったので、まあまあリアルに死に直面していたといえるかもしれません。
それで、まあ13歳の子供なりに考えるわけです。「このまま死んだら何が残るんだろう?何か変わるのかな?…いや、多分何も変わらないし、何の影響もないな」とか、消灯した病室で毎晩のように考えていました。そう考えていたら、あるとき急に悔しくなって、「自分が存在したことで何か少しでも変えられたといえる人間になりたい」って思ったんです。
そうは思いながらも、病気になって、足も普通じゃなくなって、運動もできなくなって、そのときは学校にも行けてなかったわけですから、そんな状況の自分が不安でした。大きな夢を描くほど、障害者になった自分という現実がはっきり浮かんできて、自信がなくなっていったんです。
弁護士になろうと考えたのは、高校から大学に進学するにあたって、学部を決めないといけなくなったときです。正直、法学部を選択し弁護士を目指すことにしたのも、どんな仕事なのか当時はよく知りもしませんでしたし、具体的な理由があったわけではありませんでした。今考えると、誰かを守ることができて、なんでもできるイメージのある肩書を持つことで自信が欲しかったのだと思います。
ZeLoの長期インターンで働いていた大学の友人から「ZeLoの弁護士が、弁護士志望者集めて食事会をしたいらしいから来ない?」と誘われて、そこでZeLoの存在を知りました。当時はまだ予備試験にも受かっておらず、勉強のことしか頭になくて就職のことなど考えてもいなかったので、弁護士と話せるのはいい機会だなと思って、その食事会に参加しました。食事会で代表の小笠原匡隆弁護士がこんなことを言っていたのが今でも心に残っています。
「これから法律事務所は変わっていく。そしてその始まりをZeLoとLegalForceが切り開く」
何も考えず、ただ一つの試験に向けて勉強していた自分にとっては、自分が勉強する理由、自分が弁護士になる理由を考えさせられる言葉でした。大手の事務所から飛び出してリスクをとってでも創りたい未来、そこには何があるんだろう?何かを変えようとするその人とその組織に興味がわいて、その場ですぐ「来週からインターン行ってもいいですか?」と訊いたら、すぐにインターンを設定してくれました。
インターンに行ったのは2018年で、まだ事務所が築地にあったときだったのですが、外見的には、お世辞にもきれいでスマートな事務所ではありませんでした。とはいえ、インターンの中身はとても充実していて、日替わりで各弁護士について回り、一緒に契約書のレビューをさせてもらったり、会議に出させてもらったりしました。
また、ZeLoのインターンでは、最終日に課題の発表を求められるので、各弁護士について回る傍ら、課題の準備もしていました。どんな仕事でも並行して業務をこなすことが求められるものだと思いますが、このときはそれが初めての体験で、社会に出るのが怖くなったのを覚えています。これに関しては、今も難しいと感じています。
私に与えられた課題は「既存のクラウドソーシングサービスのビジネスモデルと、その法的問題について説明せよ」というものでした。簡単にいえば、企業と業務委託を受ける個人のマッチングサービスに関する課題です。こう聞くとシンプルな三者間の関係なのですが、サービスとお金の動きは意外にも複雑で、その個人の働き方について下請法や労働法が問題になったり、報酬のやり取りに資金決済法が絡んだり…。
検討事項が知らない法律に関することばかりで大変だった覚えがありますが、同時に「ものごとの構造を理解して分析するみたいなことが自分は好きなんだな、弁護士になってもなんとかやっていけそうだな」とも思いました。いざ発表では、バンバン質問が飛んできたり、検討してないポイントについて指摘されたりして、あたふたしたことがあったものの、なんとか無事に終えることができました。
インターンで印象的だったのは、最終日に報酬をもらえるのですが、それが用意されていなくて、数名の弁護士が財布からお金を出しあって裸で渡されたことです。今では、こんな失礼なことはあってはならないと思いますが、「この未熟さがこれから大きくなろうとする事務所ののびしろなのかもしれない」と思いながら帰路につきました。こんなことを思って帰る時点で、このインターンでいかにZeLoに魅了されてしまったかわかります。それくらいZeLoのことを知られて、刺激的な時間だったんだと思います。
実際のところ、すごく迷いました。親は当然心配しますし、大手の事務所に行ってから考えればいいという意見もなんとなくわかるような気がします。しかし、私はZeLoが大きくなることを何の根拠もなく確信していました。そして、ZeLoが描く未来を、内側から一緒に作りたいと思いました。
残ったのは、自信が足りない問題でした。ZeLoに入るのであれば、求められるクオリティや成長スピードがすこぶる高いのではないかと思ってしまい、そこに大きな心のハードルがありました。今でも、それに見合った自分なのかはわからないですし、どこに行っても高いクオリティや成長スピードは求められるので、そんなハードルはあってないようなものですが、そんな幻をみてしまっていたと思います。
しかし、最後に背中を押したのは、またしても小笠原弁護士の言葉でした。
「この先にはとてつもなく刺激的で、想像を超える挑戦が待っています。僕たちがいる世界といない世界に、美しい差分を創りましょう」
自分のなりたい理想とこの言葉はぴったりと重なり、私の大事なはじめの一歩を生んでくれました。何かを変える何者かになるには、自信がないとかは関係なく、一歩を踏み出すことだと思います。
弁護士になった今、自信がついたのかといわれるとそんなことはないですが、自信がないからこそやるしかなくて、踏ん張ることができます。自分が少しでも何かに影響を与えられたと思えたときに、初めて自分を誇って自信を持てるようになれる気がします。長い道のりだと思うし、そんなときが来るのかはわからないですが、遠い未来で振り返った自分に満足してもらえるように、今を頑張りたいと思っています。
働き始めて1か月経ちましたが、毎日が挑戦です。2年目の先輩弁護士と接していると、手が届かないくらいレベルの差を感じるので、もう必死です。一番近い先輩がそれだけ離れていると、自分の力には絶望しますが、目線が必然的に上がるのでいいんだと自分に言い聞かせています。
特定の分野に興味があるわけではないので、とにかくいろいろ経験だろうとは思いますが、それこそ自分の身体を支えている人工関節や義足、自動運転の車や車いす、そういった人の身体をサポートする技術が進んで広がるようになるといいですね。
たとえば、司法修習中に眼内コンタクトレンズを入れる手術をして、視力を回復させたんです。もしメガネやコンタクトがなかった時代だったら、目が悪いのは障害でした。私が抱えていた骨肉腫も、ちょっと前までは、脚の切断をするのが一般的で、脚を残して中身の骨だけ取り換えるということはしていなかったみたいです。つまり一昔前なら、私の左脚はこの世にはなかったかもしれません。
技術の進歩は、障害を障害ではなくしてしまいます。こういう技術の広がりを止めてしまうのは規制ですから、法のプロフェッショナルとして、技術の広がりをサポートしていきたいです。
私もZeLoもまだまだチャレンジャーです。これからも大きな困難がたくさんあるのだろうと思います。しかし、逆境を前に屈することなく、時に跳ね返されることがあったとしても、下を向くときがあったとしても前に進み、これから私たちのいる世界といない世界に美しく、そして大きな差分を創っていきます。
※記事の内容は掲載当時のものです(掲載日:2021年2月8日)